懶眠井蛙

空貝に入っていた

雨雨降れ降れ

お世話になっております。
けろと申します。

今回は私の雨への愛を語ろうかと思います。
皆様は雨、お好きでしょうか。
私の夢は、雨の止まない辺境に隠居することです。



止まない雨は何とやら

世間一般に、雨とは疎まれているものでしょうか。
喜ばしき晴天の対立的存在として意識される雨天は、どうにも逆境の象徴である様です。
水の潤沢な日本では余計に雨の嫌な面に目が行きがちですよね。
濡れる、汚れる、移動が面倒。
日々齷齪生きる人程、雨は鬱陶しく感じるものです。
皆様が雨を好こうが嫌おうが私はどうにもならないのですが、一方でその扱いに引っかかりを覚える私も存在します。
よく誰かが言いました、「止まない雨はない、明けない夜はない」。
そもそも言葉の歴史を辿ると見当違いな批判に陥りかねないのですが、矢張り逆境や苦境の象徴として雨や夜を持ち出すのは好きません。
雨と夜を愛している私の、言葉尻を捕らえた幼稚な意見ですが。
まあ今時はもうチープな表現に成り下がっているようで、シンプルなポジティブ思考は受け入れられないのでしょうかね。

この記事を書く過程で雨が好きな人の割合を知りたいと思ったのですが、取り上げるに足る統計データがありませんでした。
私の狭い世界の認識であれば、雨が好きな人は少ないというイメージがあるものの、昨今の人々を見るにネガティブ傾向が強いようで、雨が好きな人も割と居るのですかね。
逆張り人間からすれば、人々には雨を嫌いなままで居て欲しいのですが。

ただ、花粉症の人々にとっては依然として恵みの雨であり、お風呂から出られない私を救い出してくれる姿はまさに神様のようです。
この記事を書き始めた2023年末は花粉なぞ存在を感じませんでしたが、現在2024年も3月ですので"奴"が目に鼻にじわりじわりと侵略を進めております。


雨音はショパンの調べ

らしいです。
雨音って、それはもう素晴らしいですよね。
雨量や環境によって雨音は色々な顔を持ちますが、強いて挙げるならば休日早朝の明け方に、家の2階の窓を開けて聴くざあざあ雨の雨音が好きです。

雨自体は好き嫌いが分かれますが、雨音に関しては癒やしの音として広く好まれている気がしています。
調べてみると高周波や1/fゆらぎがリラックス効果を齎している様ですが、最近は特にインターネットの情報に懐疑的ですので、飽く迄事実としてではなく話として受け取っています。

個人的に雨音の何が好きかを言語化するならば、それは規則と不規則の調和でしょうか。
刻一刻と変化する雨量と周期的な雨垂れが、多くの雨粒の出す音の厚みと共に一体化している点が心地良いです。


雨の言葉

古くから日本人にとって雨は大きな存在であり、毎度お馴染みの「五月雨」や「梅雨」など沢山の言葉があります。
とても網羅できませんが、私のお気に入りの言葉を幾つか列挙しておきます。
雨自体を指す言葉は季節によって名付けられている事が多く、季語になっているので趣深いですよ。

軒の玉水
これは軒、つまり家の屋根の出っ張りから落ちる雫を指した語です。
たまみずという響きが好き。

濡つ
雨や涙にしっとり濡れる事、また雨がしとしと降る事を指します。
昔から、雨と涙は紐付けられていました。

雨声
雨音の事です。 まんまですね。

薬降る
旧暦5月5日を薬日というのですが、その日の正午に雨が降る事をこう言います。
何でも5月5日に薬草狩りをするのが恒例行事になったらしく、その雨水は薬効があったと信じられていました。 面白いね。

雨障
雨を理由に外に出ない事をあまざわりと言います。
あまつつみと言ったりもしますね。
自分にぴったりの言葉です。
だって家の中で聴く雨音が好きなんだもん!


水溜りの事ですが、にわたずみとみずたまり、何か響きが似てますね。
他にもながあめと読んだりもします。 因みに濛はこさめと読めます。

遣らずの雨
人を引き留めるかと様に降ってくる雨の事です。
私は普通に傘差して帰ります。

切がないので季節の雨は省いてしまいました。
偏に梅雨と言っても荒梅雨だの空梅雨だの色々あるので、皆さんも調べてみましょう。


雨に生き、雨に死にたい

まだまだ語れますが、雨に免じて勘弁してやります。
色々理由付けしましたが、結局の所私の本能的に雨という概念が好きなのです。
性格にも合っていますしね。
他人と距離を置きたい自分にとって、雨は一つの壁として機能してくれますし、何より雨の日は外に他人が少ないので過ごし易い。

雨が好きな方、もっと好きになりましたか?
雨が嫌いな方、少しは好きになりましたか?

時には生命をも奪う雨ですが、どうか憎しみの対象には成らないで欲しいと身勝手に思います。