懶眠井蛙

空貝に入っていた

自虐は免罪符足り得ない。

自虐を挟めば、その醜さは許容されるかという話。

よく自虐をする私は、何処かで「私は、私のその醜さを知っている。客観視できている。」と思っている。
客観視できていようがいまいが、醜悪は依然としてその儘であるのに、どこか許された気になっている。

過ちもまた、認める事が美徳と捉えがちだが、ともすれば居直強盗でしかない。

自身の醜さを認める事自体をステータスとしてはいけないという自戒、自虐と謙虚はかけ離れたものだという事実。