懶眠井蛙

空貝に入っていた

ネット潜水

お世話になっております。
けろと申します。

今回は、インターネットでの立ち居振る舞いについて思っている事を書きます。
インターネットというよりかは、SNSと題した方が良いかもしれません。
皆大好きTwitterは勿論の事、YoutubeやLINE等もSNSですし、このブログサービスも然り。
SNSは要するに、ネット上で他者とのやり取りが発生する場です。

グロテスクな画像に興味は無い為、Instagramはやってません。



キャラクターを演じる

大なり小なり、人はSNS上でキャラクターを演じていると思います。
アニメやゲームのキャラクターとまで言いませんが、私を例に挙げると、文字を打っている時の「けろ」本人と打ち込まれた文字を通して解釈される「けろ」には隔たりがあります。
或いはテンション、或いは本音、或いは。

内容は言わずもがな、漢字か平仮名か、絵文字を使うか、挙句の果てには返信までの時間等、非常に細やかな因子を以てキャラクターは決定付けられます。
序文の「Instagramはやってません。」という部分も、「やっていません。」と「やってません。」の二者択一で、冗談や皮肉の類だと伝わり易い様に後者を選びました。
ボケを掘り返すのはSAN値が削れます。

留意しておくべきは、発信側の意図したキャラクターと受け手が作るキャラクターの乖離。
私はユーモラスで自虐家の善人を演じている積りですが、今読んでいる貴方には張りぼてを透かされているのかもしれません。
そしてこの前文の存在もまた、私のキャラクターに属性を付与します。
どこまで狙ってキャラクター像を作り上げているのかというのは、或る種の心理戦に思えます。

然も一般論の様に語りましたが、単なる偏屈の一端でしょうか。
これらを一切意識せずに在る方は、その純真をどうか大切にして下さい。


ポイソン

概要的にSNS上での所作に触れましたが、私はこのキャラクターに引っ張られる嫌いがあります。
このブログでも、先述の体裁を守るべく私は本音を余り顕にしていません。
無論、書いた事に特段偽りがある訳ではありませんが。
本当は、「〇〇が嫌いだ」とか「〇〇は許せない」とか、そういう事を言いたいのかもしれません。
それでも文字にしないのは、善人はその様な事を言わないから。

いえ、これも体裁でしょう。
本当は「〇〇を好きな人」に嫌われたくないだけです。
私が嫌悪感を呟いた所で、世界の誰が幸せになるでしょうか。
寧ろ不幸になります。

本音を言わない、言えないという状況は何処かむず痒いかもしれません。
ですが、言いたい事を言って救われるのは自身だけという事も往々にしてあります。
建前で円滑な関係を築く事もまた、人間様の御業です。

そうして私は、自身とキャラクターの間の溝を深く深く掘って往きます。


匿名武装の失考

名を匿うと書いて匿名。
匿名は、躊躇いを殺す剣です。
匿名は、会話を遮断する鎧です。

適当書いてごめんなさい。
SNSの匿名度合いは、ユーザーがある程度選択できるものです。
Twitterをやるにしても、個人情報全開のリアル用アカウントという使い方から、性別までもが異なる架空のアカウントを作る事もできます。

匿名で発言できる場は、非常に便利で快適です。
私がこの場で赤面モノのポエムを書こうと、或いは書いていようと、実際私の名前や顔を知っている家族は知る由もありません。
只、我々が心に留めておくべきは、匿名とは剥がされ得る鎧であるという事。
最近だと開示請求とかいう言葉も聞く機会が多いのではないでしょうか。
簡単に言うと、発信したサイトにIPアドレス等を請求して、そこからプロバイダ経由で発信者(契約者)の特定が成されるという手続きです。

怖いですね。
発信側が冗談のラインを読み間違えたり、対象が過敏過ぎたり、ケースは色々あると思いますが、私は安易に批判できる立場にありません。
例えば、容姿を批判されて自殺した人間、応援の声がプレッシャーで自殺した人間。
死に追いやったと責め立てられるのは、恐らく前者の発信者だけでしょう。

人間の複雑怪奇な心理が諸に絡むインターネットでは、悪意の有る無しすら問題ではありません。
その人間がどう受け取ったかだけです。
本当に面倒臭い生き物です。
人間はさっさと絶滅すれば良いと思います。

とまあ論旨が乱れましたが、何の気なしに吐いた愚痴がどう取られるかも分からない程に我々は加害者に近しいという事です。 せめて、匿名を卑怯な手段の一つとしない様に、悪意と付き合いましょう。


コメントを焼却炉へ

皆様は、YoutubeやTwitch等の動画配信でコメントをしますか?
私は極稀にする位ですが、この場で意見があるのはYoutubeで主に見られる寒いコメントです。

一度は目にした事があるのではないでしょうか。
「編集済みってダサくね?(編集済み)」や「このコメ伸びろ」といった非常に愉快なコメントを。

勘違いしないで下さい。
私にも、思い返せば痛々しい言動の数々があります。現在進行系で。
これらのコメントを批判する意図は一切御座いません。
ただ単に、目につくというだけです。
そして、それを支持する層の多さに驚いているだけです。

この文章もきっと、いつかの私が読めば醜く見えることでしょう。
そこに良し悪しは介在しません。
過去を恥じる時、私は成長しているのでしょうか。
寧ろその恥をも受け入れてこそ、人間に深みがでるのでしょうか。
自身がコンテンツを「寒い、痛い」と評価する際、私は墓穴を掘っているのかもしれません。
口は災いの元、下手に批判できませんね。


浮上

駄文をここまでご覧頂きありがとう御座いました。
インターネットで思うアレコレを雑多に書き殴りました。
読み返すと、言葉を選び過ぎて非常につまらない文章になっちゃいましたね。
しかし、この結果こそ記事の趣旨です。
もう一人の自分、守られた本音、クリック一つの人間関係。
口に出なかった心は、インターネットに溶け出して往きます。
そんな開かれた環境だからこそ、他者が評価する私の心を美しく見せるために、善く在りたいと強く思います。
手始めに、政治について声高に語るとしましょうか。